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80年に「バスルームより愛をこめて」でデビューし、J-ROCKシーンにおける女性ロックシンガーの草分け的存在だった山下久美子。言うまでもなく、昨年はデビュー25周年だったわけだが、現在は双子の女の子の母親でもある彼女に、そんな25年を振り返ってもらいつつ、今なお彼女を突き動し続けているものが何なのかや、そこにある信念などについて語ってもらった。



16歳の頃は「プロになる」とかではなく
「好きな道を歩くぞ」という感じでした



−16歳の時からソウルバンドでボーカルをされていたのですが、その時からプロというのは目標にあったのですか。

山下久美子(以下、山下):その頃は「プロになる」とかではなく、「好きな道を歩くぞ」という感じでしたね。プロであるとかよりも、好きな歌を唄って生活をすることの方が理想的だった。ほんとに歌が好きで…だから、「好きなことをやって暮らしていければ最高だな」という感じで、それほど深くは考えてなかったです。ただ楽しく日々を過ごしてただけでした。

「東京に行ってプロになる!」とかはなくて、地元の九州で唄っていられれば良かったと?

山下:そういう諦めに近い感覚でもなかったですね。16歳って一番多感な時期だし、怖いもの知らずだったから、可能性があることにはどんどん突き進んでいく感じだった。

−19歳で上京するわけですが、可能性を試すチャンスが訪れたというわけですね。

山下:それが、意外と冷めたんですよね(笑)。有頂天にはなってない。スカウトされて上京して、オリジナルのアルバムを作るってなったんですけど、なんか普通に構えてた。「どんな感じなんだろう?」って。初めてのことだったので、探索している感じでしたね。

−そうなんですか。久美子さんと同時期にデビューしたアーティストに話を伺うと、上京してデビューする際には「売れて外車を乗り回してやる」と思っていた人も少なくないのですが。

山下:男の人はそういう感じだよね。「モテるぞ!」とか(笑)。私は違ってましたね。自分を試そうとしていた…一度しかない人生なんだから、ここで何年かやってみて、ダメだったらまた考えればいいかなって。で、3年を目処にやってみたところ、ものすごく面白かったので、どんどんハマっていった感じですね。

−上京してから3年後の21歳でデビューとなるのですが、その間というのはプロのシンガーになるためのレッスンを積んでいたのですか。

山下:そうですね。歌は亀渕友香さんについてレッスンしてたんですけど、勉強熱心ではなかったです(笑)。みんなと同じことをするのが嫌だったんですよ。ダンスは嫌だったし、英語も途中でヤメてしまったし…今考えるととてももったないと思うんですけどね(笑)。でも、歌だけは友香さんと向き合って、会話の中からもいろいろなことを学びました。

−九州で唄っていた時は自己流ですよね。やはり、徹底的に直されました?

山下:直されましたよ。友香さんから「今までの唄い方を全部捨てなさい」って言われてすごくショックでした。あと、デビュー曲の「バスルームより愛をこめて」の歌入れでなかなかOKがもらえなくて、しかも当時のプロデューサーに「童謡みたいに唄って」って言われて、「“童謡みたいに”ってどういうことだ!?」って動揺して泣いてしまったり(笑)。悔し泣きして帰りましたよ。そういうグサッと胸に刺さる場面はいろいろあった。プロの厳しさを感じましたね。だからって、その段階で九州に戻るわけにはいかない。何も結果が出てないわけですから。でも、すごく環境に恵まれていたんですよ。周りの人達が一丸となって私のことを考えてくれていて、その思いがひしひしと伝わってきていたから…すでにわがままな奴になっていたかもしれないけど(笑)、ほんとに一生懸命に、真面目にやってましたね。

−では、完成したレコードを手にした時はどんな気持ちでしたか。


山下:すごくうれしかった。友達を呼んで、日曜日の午前中から窓をガーッと開けて、空を見ながら聞いてた(笑)。「ああ、できたんだ〜。これがオリジナルってものか…」って噛みしめてましたよ。

−ここからスタートするみたいな?

山下:「ここから始まるんだな」というのはありましたね。小さなライブハウスを回るツアーとかをやりながらレコーディングをしてたから、そういう意味では極端に今までと違う世界が広がるんじゃなくて、ほんとに静かなデビューだった。

−デビューはシングルとアルバムの同時リリースだったわけですが、当時は珍しかったというか、国内では初めてでしたよね。

山下:初めてだった。それが自慢でしたね(笑)。だから、ラッキーだったというか、それというのは、今までにないスタイルを作ろうとしていた周りの人達の気持ちの表れでもあったわけですよ。


「ヒット曲を出さなきゃ!」よりも
アルバム制作に重きを置いた



−やがてライブにおいても“総立ちの久美子”と呼ばれるようになり、82年には「赤道小町ドキッ」が大ヒットしたことで、自分を取り巻く状況が一変したと思うのですが、そこで戸惑いはありませんでしたか。

山下:ものすごく変わったもんだから、びっくりした。朝起きたらものすごい人気者になってたみたいな。だって、ほんとに人気者なんだもん。追いかけられたりして、スター冥利って感じだった(笑)。そういうことをエネルギーがあり余っている若い時期に経験できたのも幸せだなと思いますね。でも、「赤道小町ドキッ」が一人歩きしてしまって、私の精神状態がついて行けなかった。ヒット曲ってね、大きな波みたいなもので飲まれてしまうと息ができなくなるから、飲み込まれてはいけないと思ってた。負けちゃいけないというか、これに乗かって終わってしまってはつまんないと思って、反抗的な態度をとってしまうところがありましたね。「赤道小町ドキッ」の路線を必死に守っていくような保守的な考えになるんじゃなくて、「もっといろんな冒険をしてみよう!」と思ってました。だから、『アニマ・アニムス』(84年)という賛否両論のアルバムを作ったりして(笑)。

−大人的な考えになるのですが、ヒット曲が出ると「次も売れなくてはいけない」というプレッシャーもあったのでは?

山下:そうなんですよ。そのまま売れ続けたいと思うけど、あの勢いは私一人の力じゃないし…それこそ機が熟した瞬間だったみたいなところもあるから、そこにしがみ付いているのもカッコ悪いなって。だから、「またヒット曲を出さなきゃ!」ということよりも、アルバム制作に重きを置くようにしていましたね。

−その後の『Sophia』(83年)はニューヨークレコーディングだったし、『And Sophia's back』(85年)は『アニマ・アニムス』から軌道修正して…。

山下:そうです(笑)。もう一度、やりたいことをやるというか、やんちゃな自分に戻ろうって。

−さらに『BLONDE』 (85年)でロックを突き詰めた感じだったのですが、それは自分の歩むべき道はロックだと痛感したからですか。

山下:スタイルがそういうふうに伝わったのであれば、それは願ったりですね。私が思うカッコいい人でいたいというのがあって、ステージに立っている姿やライフスタイルがロックであればいいなって。それは「私は何かをメッセージしていくんだ!」というのじゃなくてね。だから、そういうところはサウンドにも表れていますよね。

−『1986』(86年)、『POP』(87年)、『Baby Alone』(88年)の三部作でそこを突き詰めていったという感じですか。

山下:そこはギターの布袋(寅泰)くんと出会ったことが大きいですね。ギターサウンドみたいなものを私なりに追求していた時期というか。

−歌詞も自身で手掛けるようになりましたよね。それによって唄う時の気持ちも変わりました?

山下:歌詞を書いている時の私と唄っている時の私は、なんか別かなって。歌詞は歌詞で1つの絵があるんだけど、歌というのはそれを吐き出すものというか。そういう意味でも、書くという作業はまた違った世界というか、違ったテンションになるから面白い。 一日中書いてたりする。その頃って二人三脚でやってて…布袋くんの曲があって、それに私が詞をつけてというコラボレートが楽しかったし、ほんとに「オリジナルを作っているんだ」という気持ちがすごくあった。

−この三部作を作った後に休業されたのですが、やはり走り続けてきたから、INの時間を設けようと?

山下:休業は結婚生活を把握しようと思って。そういうこともやっておかないとね(笑)。もちろん、それまでずっと休まずに突っ走してきたというのもあったから、ちょっと立ち止まって俯瞰で自分を見つめ直す時間が必要だったし、吸収もしないといけないなと。

−でも、2年後には『JOY FOR U』(89年)で復帰したという。

山下:1年たっぷり遊んでたら、すごく唄いたくなった。その気持ちのままレコーディングを始めたから、休んだのは1年だけでしたね。でも、とても有意義なお休みでした。今もその気持ちに近いんですけど、「歌が好きなんだ」っていう気持ちに立ち返ってましたね。精神的にも楽になれました。

−その後というのは、ロックというものを中心に見据えながら、さらに上を目指すためにセルフプロデュースをしたりしながらチャンレジを繰り返したという感じですか。

山下:年に1枚のアルバムを作っていたからいろいろやりましたよね。セルフプロデュースにしても、一度やってみないとどうなるか分からないから、思い付くことを一通りやっていった感じです。


 
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